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やまんばとゆきだるま
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山の暮らし 子育て 自閉症支援 おかしな組み合わせでしょうか(^^)
気ままにやってますので、気ままにおたちよりください。     右上の Ads by Google は、プロバイダーの自動広告です。私が紹介しているものではありません。
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介護保険・逆順で利用開始の巻(^^;

2013/03/18 11:43
twitterでは書ききれないなと思って・・・6ヶ月ぶりのブログ更新です(^^;

実家の父親の体力低下を何とかしたいと画策。

市役所へ行ってみたけれど、
本当に介護が必要にならないと・・・というような反応で。全く先に進まず。

仕方がないので、本人と相談。

まずは、病気について徹底的に検査したいというので、かかりつけの脳神経科の病院で検査。
パーキンソンではないけれど、ひじょーににているという進行性核上性麻痺(合ってるかな??)だそうで。
とりあえず、パーキンソンの薬を飲み始めたら、だいぶ元気を取り戻してきて、
自分でも、もう少しなとかしないと・・・と思える程度になってきました。

それで、高齢者向け運動プログラムを提供しているところは・・・と探し。
ここ!と思ったら、利用は介護保険認定者に限るとのことで。

結局また、市役所へ行って、介護認定の申請。
すぐに、認定調査の人がきてくれて、こういうサービスを利用したいと話をしたら、要支援1が出ました。

で、行きたいと思っているデイケアの系列の相談支援事業書に連絡をして。
ケアマネさんにきてもらって。
お試し利用開始と相成りました。

ついでに、手すり工事もしたいと相談したら、介護予防の住宅改修の補助も受けられることに。

そうこうしていたら、包括支援センターの人が来て。
高齢者向けジムのようなデイサービスセンターの利用の手続きが正式に完了。

わかる人にはわかると思うのですが、
どうやら、これは、逆順でのサービス利用開始の行程らしいのです。

地域包括センターの人が、じーばーに、
「本当はまずうちに連絡してもらって、そうすると、ケアマネさん紹介して、介護認定受けられて、それからサービスを使うんですよ・・・」と話していったらしい。

でも。
今回の過程で、一番最初に地域包括支援センターへいったらどうか、というアドバイスはどこからもなかったし。
仕方なく、どうにかならないかと動いてみたらこうなった。

地域包括支援センターの人が、「本当は」なんて言っている時点で、だめだわこれ。と思ってしまった。

そうだとして。。。
実家のある地域では、一般の「高齢者」と言われるじーちゃん・ばーちゃんが、
どうにも動けない・・・とならないうちになんとかならないかな・・・と思っていても、
どうにもできないまま時間だけが過ぎていってしまうってことになってないか・・・
と、ちょっと心配になりました。

地域福祉。
システムを生かすも殺すも使う人次第。
自分たちの地域だし、自分たちの福祉だから、
自分たちで知る努力、自分たちで動かしていく努力をしないといけないな。
サービスを提供する側も、サービスを利用する側も。

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残りの人生をどう生きるか

2012/09/22 12:26
久しぶりにブログ記事のアップです。

昨日、横浜高島屋で開催中のバーナード・リーチ展に行ってきました。

実家の父が、TVで見て、実物を見たいというので、愛知への出張の前に横浜まで案内しました。


父。何歳になったのかなぁ…。
ここ数年、目が悪くなり、歩くのが怖くなって、歩かないので、足も弱り…体力も落ちて…
気持ちは出かけたいのだけれど、一人では本人も周りも怖くて出かけられない状態です。

数日前に、大切な知人が他界。
お通夜、葬儀に参列した翌日に横浜まで…。

父は、明らかに、疲れているし、知人の死で気持ちも落ちています。

母は、明らかに、そんな無理してまで行くことない。という調子。

たぶん、ここで行かなければ、もう、バーナード・リーチの本物を見る機会は、父の人生にないでしょう…。

そうだとして。
どうせ、もう先も短いのだから、無理してまで行かなくたって…。と考えるか。
先は短いかもしれないけれど、今生きている自分の目で、本物を見たい、見ておきたい…。と考えるか。

一人では出かけられない父にとっては、周囲がどう考えるかで、どちらかに決めざるをえません。


一緒に行くことになっていた私にとっては、もともと、行かないという選択肢はなかったのですが…。
一緒にいくことになっていた、娘(孫)の「横浜行きたい!♪}の一声に助けられて、無事横浜へ。
めでたし(^^)


今生きている。
それは、死ぬ直前まで、確かな事実なのです。
生きている自分を感じ、生きていることに喜びや感謝を感じることができなければ、死に向かうだけ。
それは、年をとっているか、若いか、に関係ない!

父は、とても疲れた様子でしたが、とても満足した顔で、(かわいいお土産と、おいしい本格寿司に大満足の)孫娘と一緒に、帰りの新幹線に乗って行きました。
私も、よかったな。。。というあったかい気持ちで、名古屋に向かう新幹線に乗りました。

残りの人生。
時間的にはまだまだたくさん残っている人から、残り少ない人まで、いろいろな人がいます。
そういうスペクトラムも、社会にとって大切な多様性。
そのどこに位置する人も、残りの人生を、自分らしさを感じながら、産まれてよかったな、生きててよかったな、と思いながら生きていけたら。
人生の大変さや、苦しさや、悲しさも、力に変えていけるのではないかな。

新幹線の中から手を振る父と娘の姿の絵が、大切な記憶の1枚となりました。



ところで。
バーナード・リーチの作品は、西と東の融合の中で、日本の良さを実感させてくれるものでした。
民芸運動の人たちとの、まさにイノベーション。
作品のひとつひとつから、伝統を大切にしながら、自分らしさ、時代、を表現しようとする勢いが届く。


今目の前で一人の人の人生を見つめている若い人たち。
イノベーションの中にいるのだと、意識していないかもしれないけれど、確かな勢いがうまれています。
人と人の出会いの力って、本当にすごいですね。
その中に今いられることに感謝。
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学校に親はなじまない

2012/04/24 11:59
このところ、昔の記事ばっかりアップしていたので。。。
今日は、オンタイムで(笑)



昨年度、娘のクラスががたがたと崩れ、
行ける親が朝から下校まで、クラスに入って「支援」していました。

先生方は、「学校に親はなじまない」と言いながらも、
自分たちだけでは手が回らず、親が入ることを認め、
少なからず感謝もしてくれていました。

学校に行ってまず思ったのは、
子どもたちは、こんなにも放っておかれているのかぁ・・・ということ。
決して悪い意味だけではありません。
先生の目が届かない時間、子どもたちだけで考え過ごす時間の多さ。
それは、子どもが自立していなければ任せられない時間でもあります。

その時間を上手に、楽しく過ごせるかどうか・・・
それは、先生の目が届いている時間にどれだけ子どもたちを「教え導いているか」だと思います。

先生との関係だけでなく、友達同士の関係もうまくいかなくなっていた娘のクラスでは、
この「放っておかれる時間」にトラブルが続出。
そして、そのトラブルを授業にまで持ち込むことに。。。

授業が始まって先生教室にくるので訴えに行く子。
先生に、授業が始まるから、帰りの会で話すように言われ、不全感をもったまま過ごすことに。

先生にいいに行けば怒られると思っている子。
不満もいらいらも、悲しみも全部自分の中に取り込んで、授業中もいらいら、授業の邪魔をし、さらに怒られる・・・悪循環。

先生に言っても仕方がないとあきらめている子。
そう。もうすぐ4年生なんだから、そのくらい自分たちで解決するようにと言われる。
そのためには、自分たちで解決する「力」をつけている必要がある。
その「力」をつけてもらえずに2年間過ごしてしまった子どもたちは、
ただお互いを責め合って収拾をつける。

クラスの中は、いつも、「誰かが悪い」状況。

人間関係をうまく作れないのは、家でのしつけや、友達関係づくりへのしつけが足りないからだと、暗に言う先生。
確かに、親にも責任はある。
大いにある。
娘を見ていて、自分の子育てを、ずいぶん見つめ直した。。。(苦笑)

でも。
クラスの子どもたちを、どうまとめ、どう育てていくかを考え、導くのは先生。
そのときに、
先生が思う「いい子」になるように。
みんなが同じようにできるように。
形が「できていれば」ほめられ、見えないところでしていることは見逃される・・・。
そんな「軸」では、意志をもち、自我の育ち始めた3年生は、ぶれて当たり前。
ずっと、そう感じていた。


クラスをまとめ、クラスの子どもたちを育てていく責任は、今の教育の体制では、クラス担任にだけにある。
他の先生も、「あの先生のやりかたでは・・・」と思いながら、口出しをしない。
教頭先生も、校長先生も、朝から夕方まで通してクラスを見るなんてことはしない。

大人になって、親になって、娘のクラスに入ってみて、
学校教育の「狭さ」「密室度」を感じた。

「先生」なんだから、何でもできるわけじゃない。
ちょっと手のかかる子や、ちょっと難しい子がいたら、対応できない先生だっている。
「できないこと」「苦手なこと」があっていいのは、
障害のある子だけじゃない、子どもだけじゃない、大人にも、先生にもあっていい。
だから、みんなができることを発揮して、みんなでやっていけばいい。

親は学校になじまない。
確かに、親という立場で、自分の子どものクラスに行くと、
自分の子どもは嬉しいし、照れくさいし、いい子になる。
他の子は、ちょっとつまらないし、でも、いろいろ話を聞いてくれるし。。。
他の子の話を聞いていると、自分の子はつなんないし。。。
なんてことになる。

でも、考えたら、多くの先生は、親でしょ?
自分の子どもがクラスや学校にいないだけで。

いろんな人の目が学校に入って。
いろんな人が子どもたちを見つめ、励まし、しかり、褒め。。。
それぞれ、みんな違って、みんないい子だよ。とおおらかに育てていけたらいい。。。

学校も、先生も、全然特別じゃない。
みんな同じ人間。

できないことも、苦手なことも、ある。
できないことも、苦手なことも、あっていい。

まずは、先生たちが、そう思えるようになってほしいな。




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2005年11月11日の日記〜自然から教えられること

2012/04/23 08:45
November 11, 2005

「自然から教えられること1 」

毎年夏の終わりになると、道路脇の木のうち栗系の木らしいものが
丸ごと1本虫に食い尽くされ丸裸になります。
そんな木があちこちに見られるようになるのです。

葉をすべて食い尽くした虫たちは、葉脈だけになった葉を使ってまゆをつくり、さなぎとなって…
いつのまにか、成虫になっていなくなってしまいます。

他の木々が少しずつ枯れ葉色になってくるころ、
その食い尽くされた木に
新しい葉が生まれ…
そして、他の木を追いかけるように、紅葉して散っていきます。

来年の春にはまた、青々とした葉をつけるのでしょう。
そしてまた、夏の終わりに…。

あれほどまでに見事に食い尽くしても
木を枯らしてしまうことのない虫たち
あれほどまでに見事に食い尽くされても
再生する木々

私たちは、自分たちが生きた後
その子どもや孫や、そのまた先の子孫たちが生まれ育つ時のことを
考えて行動しているだろうか…

仕事や育児やその他いろいろ…人生を、
いつでも再生できるだけの力を残して
大事に生きているだろうか…

気が付けば時間が過ぎ
気が付けば年をとり

気が付けば緑が少なくなり
気が付けば河に魚が減り
気が付けば空に見えない穴があき

気が付けば子どもたちの遊び場はなく
気が付けば子どもたちの遊び声も聞こえず
気が付けば子どもたちの心が荒み

気が付けば社会がゆがみ
気が付けば地球が危ない

気が付いたとき
私たちは何をすればいいのか…

まだ緑が残り
まだ人があたたかく
まだ子どもの目がきらきらしている
そんな山の暮らしの中で
今やっと、立ち止まって
子どもの目線で世の中を見直し
自分の…大人のすべきことを
考えています。

気が付けばもう
霜月11日
飯綱山に3度雪が降ると
里にも雪が降りてくるのだそうです
今年はまだ1回
朝晩息が白くなるようになってきました
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2005年11月8日〜支援者という立場で書いています

2012/04/18 08:41
昨日アップした2005年11月6日の記事。
自閉症の人のつらさと自分のふがいなさに、
子どもを抱きながら泣いていたところを、看護師さんに見られて、
マタニティーブルーか!?と心配されたっけ・・・(^^;

たぶん、気持ちがセンシティブになっていたのは確かなんだろうな。。。

もう9年も前のことなんだなぁ。。。

・・・☆・・・☆・・・☆・・・

November 8, 2005

「支援者という立場で書いています」

先日の日記(子育ての中で改めて自閉症を学ぶ)を読み返していて、
もしかしたら、これを読んで、憤りや悲しみを感じた自閉症のお子さんをお持ちのおかあさんやご家族、ごきょうだいがいるかもしれないな…と思いました。

自閉症のお子さんをお持ちのおかさあん
それも、まだ小さくて
自閉症であるということがわかったばかり…
というようなおかあさん
これからどうすればいいのか…と途方にくれているかもしれないおかあさん

自分の子どもは自閉症ではなくて
わかった気になるなと
思われているかもしれません

私は、自閉症という障害をもって生まれた人を支援する立場で書いています。
それは、もしかしたら、ご家族やごきょうだいの立場や気持ちからは
少し距離をおいた物言いになるかもしれない可能性があるということです。

私は、自閉症の人を支援する人たちを支援することを仕事としています。
支援者に気づいてほしいこと
支援者にわかってほしいこと
支援者に変わってほしいこと
を伝えるために
もしかしたら、ご家族やごきょうだいの気持ちに添えない物言いになるかもしれません。

ご意見やご感想は、どんなことでも結構ですので
お伝えください。
真摯にかんがえ、真摯におこたえしたいと思います。

自閉症の人たちが、当たり前に暮らせること
を願う気持ちは同じ…と思っています。

霜月8日
山の紅葉は、黄色が増えてきました。
から松でしょうか。
隣の森の“どんぐりの木”も黄色くなって
葉を落とし始めました。
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2005年11月6日〜子育ての中で改めて自閉症を学ぶ

2012/04/17 09:15
November 6, 2005

「子育ての中で改めて自閉症を学ぶ」

眠い目をこすりながらやっと書き上げた日記を
送信ミスで消してしまってから早3日。
スタート2日目にして、ショックでお休みしてしまいました。

せっかくアクセスしてくださったみなさま
ありがとうございます&ごめんなさい。

さて…
人生初めての子育てを始めて2年と9ヶ月。
出産直後から「あ、自閉症の人と同じだ」
と思うことの連続。
自閉症が発達障害であるという所以を改めて納得している次第。

しばらくの間、
思い出すままに、娘から学んだことを
書いていって見ようと思います。
(飽きやすいので、ずっと続けてこのことだけ書き続けられないと思います。
他の話題も入りつつ…ということになると思います。
この話題で書くときのカテゴリは「自閉症」です。)

娘を産んだ産院は、母子同室が基本でしたので、
母子ともに異常がなければ、赤ちゃんは、生後丸1日するとおかあさんのところへ来ます。
うちの場合、娘の体温が上がらず、1日保育器に入っていました。
2日目の朝母のもとへ来た娘。

「あかちゃんは、生まれてすぐからお母さんがわかる」となんの疑いもなく信じていた新米かーちゃんは、
抱いてみてすぐに「あれ?」と思うことになります。
なにかしっくりとこないのです、お互いに。
抱っこしても、我が子はなにやら居心地が悪そう…
ミルクをあげても、何となくうまくいきません。
ところが、部屋に来てくれた看護士さんがひょいっと抱き上げると
なんともリラックスした様子に。
そのことをそのまま看護士さんにはなしてみると
「そりゃー、1日一緒にいたもんねぇ」と娘をのぞき込んで言うのです。

生まれてから48時間
おむつを換えてもらい、ミルクを飲ませてもらい、泣けば抱いてもらい
お風呂に入れてもらい…
彼女にとって、自分の欲求(不快をなくしてほしい)を訴えて満たしてくれていたのは看護士さんです。

伝えれば応えてくれる
いやなことをしない
もっと言えば、自分を快適な状態にしてくれて
安心や快感を与えてくれる…。
コミュニケーションの基礎の基礎。
私たちは、生まれたそのときからコミュニケーションを練習し
コミュニケーションを身につけていくのだということを知り
身の毛がよだつ思いがしたものです。

自閉症の人たちは、
おそらく生まれたそのときから
このやりとりがうまく成り立たずに生きていかなければならないのです。
生まれてすぐに自閉症であるとわかる人は今のところいないはずです。
はやくても数ヶ月、今の日本の現状では、1年半から3年。
もしそこから適切な支援を受けられたとしても、
そのときすでに「人とのコミュニケーション」に不快や不信や無意味を感じてしまっている可能性はとても大きいはずです。

私は、大人になった自閉症の人との関わることが主です。
言葉を嫌い、人を嫌い、コミュニケーションを拒否する…
そうなるであろう…とわかったつもりでいたけれど
生まれたばかりの娘を抱きながら、
自分のふがいなさと、彼らのつらさを思って、涙があふれました。

と同時に、TEACCHプログラムのなかで、コミュニケーションをもっとも大事に扱っている、ということを思いだし、
あらためて、TEACCHプログラムの偉大さを感じた瞬間でもありました。
ノースカロライナで出会った自閉症の人たちの、おだやかで安心した表情の理由は、きっとここにあるのでしょう。

少しでもはやく、自閉症を発見し
少しでもはやく、自閉症としての支援を受けられるように…。
そして、人とのコミュニケーションを楽しみ、
人と一緒に暮らすことを好きになってほしい。
そう思います。

さて、新米かーちゃんとその娘はその後どうなったかというと…
泣いたらおむつを換え、おっぱいを飲み、足りなければミルクももらい、
それでも泣くときには抱いてあやしてもらい眠る…。
ということを3時間おきに繰り返すこと数回。
1日もしないうちに、すっかりかーちゃんと息が合い…
その後のあまえんぼの基礎を築くのでした。
自閉症という障害を持たない、ということは、すごいことだなぁと
しみじみと寝顔を見ていた記憶がよみがえってきました。

余談ですが
もし産科のドクターや看護士さんの中に自閉症のことを理解する人がいたら
ごく早期の段階でスクリーニングできる人もいるのではないかな?
どうですか?出産経験のある自閉症の理解者さん、そう思いませんか?

霜月6日
山は霜月に入ると同時に霜が降りました。
今夜は、あたたかな雨の夜です。
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2005年11月2日の日記

2012/04/16 08:48
さて。
3年目に入ったこのブログ。
いやなアクセスもなく、続きそうですので、
予告通り、時々、以前のブログ記事を、ここに復活させてあげようと思います。
記念すべき、第1回の記事。


November 2, 2005

初霜
霜月に入ると同時に霜が降りました。
稲刈り後の田んぼは真っ白。
畦の草についた霜は朝日に溶けてきらきらして、白いゆげが立ち上っています。

朝起きて、薪ストーブの「おき」からもう一度火をおこせるかどうかを心配する季節です。

稲刈りが終わると、山は冬支度。
少なくとも3ヶ月雪に埋もれるこの地方では、
まだ蝉の声が残るなかで、冬野菜の種を蒔きます。
季節と競うように大きくなった大根が、あちこちの軒で干され始めました。

山に棲むようになる前は、
トレンディードラマのロケ地になるようなニュータウンのマンション暮らし。
野菜に旬があるということを忘れかけ、
季節の移り変わりを感じる感性を失いかけていた時に、
娘を授かりました。
人社会への期待も信頼もできないという憤りが、あきらめに変わりつつある時に、
山への引っ越し。

リスや狸の棲む森と隣り合わせ
北信五岳のうち4岳を望み
春、夏、秋、冬の季節の野菜を畑から直送
四季折々に咲く花と、何年かぶりの再会
夕立の時には雷が鳴り響き
秋には赤とんぼが山から降りて空いっぱいに飛び
冬には2mちかくつもる雪

あったかい人たちに囲まれ
人社会も悪くないかもしれないと思う。

そんな人と自然の中で子育てできる幸せ
そんなものとは無関係に腹の立つこともある子育て

子どもと自然と山の人たちから
たくさんのことを教えられ
まだ、できることも、やるべきこともある
と思い直し
障害のある人たちを支援する人をバックアップすることを生業としてみることに…

そんなこんなの「やまのやまんば」の
山の自然と
子育てと
障害福祉と
その他いろいろ
四方山話を
これからぼちぼち書き残してみようと思っています。

山の空気を吸いたくなったら
ちょっと立ち寄ってみてください。

もうすぐ雪の季節です。
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祝2周年!

2012/04/06 11:10
どうやら明日で、このブログを始めてから2周年になるらしい。

ぶろぐ事務局のまーささんからメールが届いて知りました(^^)
まーささん、ありがとう!

PCが心許なかったので、仕事以外で長い文章を書くことから遠のいていて・・・
ブログの更新から久しく遠のいておりましたね。

3年目の今年は、このブログの前にやっていたブログ(あまりに迷惑なアクセスが多くて、いやになりやめてしまった)記事を、こちらに復活させてやろうかと考えています。

あとは、何を書くかなぁ。
また、気の向くまま、twitterでは書ききれない、山のこと、子育てのこと、仕事のこと、など、ぼちぼち書いて行きましょう。

雪のちらつく4月(旧暦で弥生)16日

*今月は旧暦では閏月があるのだそうで、(旧暦)3月の後に、閏3月月が入るらしいです。
 3月がもう一回。
 このあたりでは、今年は、これくらいでちょうどよい季節感かもしれません。

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ひとつのことば 北原白秋

2011/11/08 08:02
ひとつのことばで けんかして

ひとつのことばで なかなおり

ひとつのことばで 頭が下がり

ひとつのことばで 心が痛む

ひとつのことばで 楽しく笑い

ひとつのことばで 泣かされる

ひとつのことばは それぞれに

ひとつの心を 持っている

きれいなことばは きれいな心

やさしいことばは やさしい心

ひとつの利用者ことばを 大切に

ひとつのことばを 美しく




娘が学校から持ちかえった紙を何気なく開いたら
この詩が
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稲刈り

2011/09/29 09:20
秋。

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わが家の田んぼも、気候のおかげか、ビギナーズラックか
よく実りました。

春に手植えしたもち米。
秋も手刈りの予定だったけれど、
近所のじいちゃんが、そりゃぁ大変だから。
と、使っていないバインダーを引っ張り出してきてくれた。
(あ、写真とっておくの忘れた)

使ってみて、やってみて、
借りてよかった(><)と実感。

おかげで、無事完了。

画像


画像


日本の秋!の風景に、我ながら満足(^^)

しかし。
次なる課題が。

脱穀をどうするか。

ご近所のみなさんは、うるち米しか作っていません。
コンバインをつかって、もちとうるちと両方を脱穀してしまうと、
うるちにもちが混ざって、等級が落ちるのだそう。
袋に棒をさして中身をチェックする検査で、もちが3粒入っていたらダメなんだとか。

ふうん。
なんだか、今の日本の馬鹿げた価値観をかいま見る気がするのは、気のせいだろうか?

そんなわけで、ちょっと貸してもらう、というわけにいきません。

誰か、千歯とか、脱穀機とか、持ってないか(倉庫に眠ってないか)と捜索中。
雪が降るまでには、何とかしなければ!!

とにかく、秋。
赤とんぼも山から降りてきたし。
コルチカムもあちこちで見頃です。

画像



そうそう!
娘は、この稲刈りのために、学校を早退して、手伝ってくれました。
束をはこぶ、はぜを支える三脚をたてる、はぜに掛ける…。
さすが3年生!の働きぶりでした(^^)

学校の先生は、そんなことで簡単に休まないで欲しいと言ったそうな。
学校の勉強よりも、多くのことを感じ、学び、達成感を味わった1日だったと思う。
少なくとも、村のみんなには、良くやった!と大いに褒めてもらいました。






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感情の温度計(つづき)

2011/07/21 12:28
娘と、感情の温度計の話しをして、解決したいらいら。
もうひとつ。


娘は、学校から帰ってくるとすぐに宿題を出し、リビングでやり始めます。

その時間は、私もできるだけ時間をつくって、一緒のテーブルについて、宿題につきあうようにしています。
そして、
娘の宿題の答えが間違っていると、すぐに「そこ違ったよ」と言うようにしていました。

母とすれば、その場で直してしまった方が、間違いにすぐ気がつくし、やり直しの手間も省けるのでは。という「親心」のつもり。
しかも、娘は、失敗や間違いを指摘されるのがとても嫌いで、すぐにいらいらし、人の話を聞かなくなるので、その矯正のつもりも、少し。


それで、いつもは…
「そこ、違ってるよ」
「わかってるよ、もう!うるさいなぁ。」
「教えてあげているんだから、ありがとうって聞いたらどうなの?!」
と、ふたりでいらいら。


ふたりで、このことについて、温度計を使って話してみました。

「お母さんが間違ってるよって言うと、いらいらの温度があがるね。」
「うん」
「間違えるのが嫌なの?」
「違う、途中で言われるのがいやなの。どきっとしてびっくりするし、やってる途中なのに…」

「あ、そうなんだ。じゃあ、どうすれば、温度上がらないようにできるかな?」
「途中で言わないで、全部終わってから言ってくれればいい」
ふーん

「全部終わってから、『この中に間違いがあるけど、ど〜こだ?!』って、間違い探しみたいに言ってくれたら、『え〜♪どこかなぁ?ここ?』って聞けるでしょ。そしたら、いらいらの温度あがらないですむでしょ」


そうだったのか。
集中してやっているときに、ちゃちゃ入れられるのが嫌だったのか…。

早速実践。
2日続けて、ふたりともいらいらせずに、宿題を完璧に仕上げられました(^^)♪


♪ 感情に気づく → どんな時かを認識する → どう対処すればいいか考える → うまくいく ♪
この流れが、共通のイメージになり、成功が共有できて、お互いに気持ちよくいられる。

やっぱり、The CAT-kitいいなぁ。


自閉っ子(発達年齢で7歳以上が、ターゲットとのこと)とそのご家族に、もっともっと活用してほしい!

お互いに感情をコントロールしながら暮らせる幸せを、お互いの気持ちを分かり合える幸せを、み〜んながもてますように…!









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感情のレーティング〜感情の温度計

2011/07/19 11:27
The CAT-kitの研修で、温度計のようものをつかって、感情のランク付けする、ということを学びました。

群馬からの帰り道、娘(8歳)と、やってみました。
といっても、私は運転しながらだし、kitもないので、「もし気持ちを温度計みたいにはかるとしたらね…」という設定で話しあってみただけですが…。


★「うれしい」と「楽しい」は、どっちが温度が高いと思う?★
「うれしい」ほうが低いかな。

「うれしい」は、にっこりする感じだけど、
「楽しい」は…もっとあげあげな感じ。

ここですでに、定型発達恐るべし!と思う私。
習わなくても、感情と身体感覚・身体変化と結びつけて感じているんだぁ!!

★「さみしい」と「かなしい」はどうかな?★
「さみしい」ほうが低いかな。

「さみしい」は、思うだけだけど、
「かなしい」は、涙が出てくる感じ。

なるほど。


★「ムッとする」と「怒る」だったら?★
「ムッとする」が低くて、次に「いらいらする」感じがあってね、それから「怒る」かな。

例えばね、お友達に「こうしてみたら」って言ってもやってくれないとムッとするんだよね。
何回も言っているうちに「いらいらしてきて」ね、それでもやってくれないと「もう!!」って怒っちゃう感じ。

おお!
またもやあなどりがたし!定型発達。
どういうときに感じるか、も自動的にイメージしている。

そこで。
じゃあ、いらいらしてきたときに、それ以上温度があがって怒っちゃわないように、温度を下げるにはどうしたらいいと思う?

いつもはね、「なんでしてくれないの?」って聞くの。
理由がわかると、「ああそうか」って思えるから、温度が下がるんだよね。
でも、ムッとする気持ちは残るかな。
でも、どうしたいかは人それぞれだから、仕方がないなって思うようにするの。

う〜ん…!
なるほど、定型発達の脳は、意識して教えてないのに、こんなアクロバットができるようになってしまうのかぁ…!!


★じゃあ…「好き」と「嫌い」だとどうだろう?★
えーと…。
「嫌い」は0℃から3℃くらいまでかな。
3℃から20℃くらいが「好き」で…「好き」にもいろいろあるから。
20℃以上だと「大好き」かな。

★「大好き」は何度くらいまであるかな?★
40℃くらいかな。

なるほど、彼女の温度計は、日常的につかっている気温計のイメージなのか、とここで気づく。

ふーん。
おかあさんは、何度くらい?
えーとねぇ、25℃…28℃くらいかなぁ。

え(^^;
いつも「お母さん大好き!」って言ってるのに。。。
大好きの中では結構低い??

お、お父さんとかじーちゃんとかばーちゃんは?
同じくらいかな。28℃。

そ、そっか(とちょっと、安堵する母(^^;)

30℃以上に好きな人っているの?
人?うーん、人っていうよりねぇ…しぜん、かな。

しぜん?
そう、空とか木とか花とか動物とか…空気とか星とか太陽とか…。
とにかく、そういうしぜん。

そうかぁ。。。
いや、参りました。
自然崇拝の気持ちが、「大好き」の最高温度。


The CAT-kitを使うと、自閉症の人たちの会話力とコントロール力がバツグンに伸びる、ということでしたが、娘と話してみて、こういうことなんだろうな、と感じました。

感情を視覚化・言語化して認識すること。
そこには、価値観が大きく影響している…
それは、価値観に大きく影響する…

感情教育は、日本の教育カリキュラムの中には無いのだそうです。
ということは、裏を返せば、感情教育をしている国もあるということですね。
最近の日本の状況をみていると、感情教育って、とても大事なことなのではないか…と思った次第。

The CAT-kitもっともっと勉強しよう!!


そうそう。
自閉症の人も、私たち大人も、どちらかというと、ネガティブな感情のほうがイメージしやすいそうなのですが。
娘は、かなしいとか怒るとかの、ネガティブな感情よりも、うれしいとか好きとかの、ポジティブな感情のほうが、考えやすいし好きだと言っていました。
なんだか、思っていたよりもずっと&私よりもずっと、豊かな素敵な感情が、彼女の中に育っているようです。

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感情のコントロール〜感情をレーティングする

2011/07/19 10:33
昨日と一昨日、群馬で開催された、服巻智子先生の研修会を受講しました。

Social StoriesTMとThe CAT-kitの入門講座です。

(世界レベルで)最新の情報も盛り込まれたTomoko先生の講義は、実践的かつ理論的で、いつもいつも勉強になります。
今回も、もちろん、すばらしい内容でした。

Social StoriesTM研修を受講するのは数年ぶり2回目。
以前よりも、(高機能)自閉症の人たちの脳の特性とコミュニケーションの支援について丁寧に話されていたことと、
TEACCHの構造化(特にスケジュールや手順書)とセットで使うことの有効性について強調されていたことが、とてもいいなと思いました。

「自閉脳」という概念や、高機能自閉症の人たちにとっての構造化の必要性(自閉症なのだから当然必要という考え方)は、まだまだ決してポピュラー・標準ではありませんからね…。


The CAT-kitは、初めての受講です。
基礎1講座ということで、こちらも、自閉症の人たちの脳の特性と感情教育の重要性について、とても丁寧に話してくださいました。

印象的だったのは、自閉症の人たちの感情教育を考えるにあたって、一番重要なのは、私たち支援者(親も含む)が、定型発達の人たちの感情の発達について(特に、「みんな違う」ということについて)知ることと、自分たちだって感情をコントロールできていない・コントロールするのは難しいということを知ることというお話。

確かに…(^^;

でも、感情を波立たせないことがいい、というわけではないですよね。
自閉症の人たちにも豊かな感情があり、それを自覚・意識しながらコントロールできる「立派な社会人」をめざすことが重要!

だからこそ、小さい頃から適切な感情教育を重ねていくことがとても大切なのだと。

「理解は異なっていても、心は普通」むしろ「普通の人より傷つきやすい」

脳が違うのだから、入力の方法が違ってあたりまえ。

改めて、早期発見、療育の重要性を再確認しました。



それにしても。
自閉症の勉強は、いつもいつも、自分の価値観、自分の脳、自分の(大人としての)生き方を問い直すことにつながります。

「常識」ってなんだろう?
日常の行動、生活、仕事…は、なぜこうなっていて、自分はこうしているんだろう?
なぜ今こう感じたのだろう?

何よりも、普段はそんなことを意識しないで、生きていられるの幸せに感謝しつつ、もっともっと勉強しなくちゃ!と思う朝です。



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学ぶ姿勢

2011/07/08 00:48
自閉症の人にご協力いただいて、障害特性と構造化された支援の導入を学ぶ研修を試行しています。

全7日コース。
今年に入って2回目が先週末にUP。

最終日の実習にむけて、基礎理解からスタートし、ひたすらアセスメントとプランニング。
実習前日のシュミレーションまでたどり着き、やってみて…またダメ出し…。
受講している人たちは、相当どんより。
たぶん、「こんなにやる必要があるのか…」と思っているのだろうなぁ…(^^;

でも、最終日の実習で。
普段は
初めての人との活動は苦手ですとか…
初めての活動でパニックになったことがありますとか…
そばにいていちいち指示してあげなければ動けませんとか…
トイレ通いが頻繁になりますとか…
できることが思い当たりませんとか…
そんな人が、とても生き生きと、いい表情で、さくさく活動できる姿を見て、
受講している人たちの表情もいきいきしてきます。

自閉症(に限らないと思いますが)支援は、段取り8分。
その8分の手間、労力の大きさが、普段とは比べものにならないくらい大きいということに気づいてもらうことが、研修のひとつの目標。

そう、こんなにやる必要があるのです。
というか、
これだけやると、自閉症の人の暮らしとして達成される10(分)が、こんなに大きくなるのです。

この「大きな10分」を知ってもらうことも、大事なのだな…と、最近思います。
だって。。。
支援している人たち(この場合研修受講者)が、その人の「大きな10分」をイメージすることができないのですから…。

この人にそんなことができるはずがない。と思っている。
もし本当に、今それができていないとしたら、
それは、その自閉症の人の限界ではなく、
支援する人たちの支援力の限界なのです。

私たちは、もっともっと謙虚に真摯に、彼らのことを理解し、支援する努力を重ねなければいけないと思います。
私たち次第で、彼らの生活、人生が、大きく変わるのだから。

そのことに気づき、学ぼうとする姿勢をもてるようになること。
それが、この研修の一番の目標。
だと思っています。


「こたえ」は、ひとりひとりの自閉症の人たちの表情、生活、人生の中にある。

彼らの人生が続く限り、私たちの学びと努力は続くのです。




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障害者虐待防止法が成立

2011/06/19 22:49
障害者虐待防止法が成立。
いろいろ議論、課題はあるにせよ、
なにはともあれ、成立したことは、良かったと思う。

が、発達障がい分野での課題は、大きいなぁとも思う。

何を隠そう、私は、某知的障害者入所厚生施設に就職してからの10年間、自閉症の利用者さんに虐待をしていた。
就職して10年間、誰も、私にそのことを教えてくれなかった。
というより、誰もが同じような関わりをしていて、それを虐待だとは思ってもいなかった…。

前にもこのブログで書いたかもしれない。
10年目に受けた研修で、佐々木正美先生から学んだ「悪意のない虐待」について。

自閉症の人たちの障害を正しく理解しないまま、自分の文化・価値観に基づく関わりを続けることは、それが、自分たちにとっては「支援」や「指導」であっても、自閉症の人たちにとっては虐待なのだと…。

その研修で学んだ自閉症という障害についての知識は、私のそれまでの「支援」が、明らかに、悪意のない「虐待」だったということを証明していた。
目から鱗が1万枚くらい落ちたのではないかと感じ、反省をし、懺悔の道に突入。
あれから10数年。
学び続け、自分にできることで償いをしようと、努力してきたつもり。
最近やっと、私は虐待をする支援者ではない!と自信を持って思えるようになってきた。

なってきた私にも、虐待防止法では、通報の義務・権利がある。

私は「悪意のない虐待」について、どうすればいいのだろう?
周囲の人たちは、何も知らず、気づかず、「ふつうに」関わっているだけ。
でも、自閉症・発達障がいの人の立場にたったら、明らかな精神的or身体(感覚)的な虐待を受けている状況。
それを通報したとして、だれがそれをジャッジしてくれるのだろう?

最近Mr.BOUZANがブログ(http://blog.goo.ne.jp/bouzan0807)で、発達障害1次相談窓口について連載しているけれど…。
市町村の窓口が、発達障がいの1次相談窓口として機能しているとしたら、「悪意のない虐待」に関する通報も、受け止めてもらえるかもしれない。
でも、現実は…。

「悪意のない虐待」
これは、「悪意のない」ものだからOK、とするのではなく、当事者(周囲の家族、支援者、先生、友達、上司、同僚などなど…)に気づかせ、学ぶ必要があることを「指導」または「勧告」するくらいには、日本の発達障がい福祉も成熟しないといけない。
と、思う。

頑張ります。
頑張りましょう。

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CoDoMonoE(コドモノエ)

2011/05/11 09:48
福島県の建築デザイナーアサノコウタさん
( twitter:@BHIStuio WEB:http://bhis.tumblr.com/ )

主催の【CoDoMonoE】
( twitter:@CoDoMonoE WEB:http://bhis.tumblr.com/ )

311がきっかけで、その活動を知り、おうえんしています。


個人的に知り合いに、子どもさんの絵を送ってもらう他に。

娘の学級に協力をお願いし、毎月11日をコドモノエの日として、子どもたちに絵やメッセージをかいてもらう&リサイクル品を持ち寄ってもらい→リサイクルショップで買い取ってもらう→コドモノエの活動に寄付、という“コドモノエおうえんプロジェクト”を始めました。

今日が、第1弾。

北信は花の季節

画像


春らしい絵がたくさん集まりました!

画像


3年生ともなると、メッセージをかいてくれる子も。
311を、子どもたちなりに受け止め、そして、素直にストレートに“メッセージ”をおくってくれました。


「コドモノエの箱」には、リサイクル品も。

画像


ご家族の応援があってこそです。
ありがとうございます!!


ちいさな力。
ひとつのつながり。
だけど、
将来につながる大きな力になることでしょう。

これから毎月11日、1年間。
コドモノエの日、楽しく、大切に、続けていきたいと思います。

祈りを込めて・・・

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在日中国人女性Mさんからのメール

2011/03/16 12:35
私が参加させていただいている、とあるMLへの投稿メールです。
ご本人のご了解をいただき、以下にご紹介させていただきます。

自分のことだけでなく、世界中の人たちのことを想う。
暖かく、嬉しいメールです。

・・・・以下、引用(個人情報を削除しています)・・・


「 心が一つにして、日本人だけではなく、在日の中国人も一緒に頑張っています。」

皆様

大変お疲れ様でした。

Mと申します。
日本在住の中国人です。私にも中国からたくさん心配してくれた
友人から電話があり、10年以上連絡してなかった友人から昨日も
何回電話を掛けてきました。海外で日本の今回の原発、と大地震に
ついて大きく噂が広がり、早く中国に帰ってくださいと、住むところが
ありますから、家族を連れて帰ってと。その電話を聞いたら心が
暖かくなり、友情の大事さを感じしました。でも噂の怖さも感じしました。

主人はいま3月2日〜●●(職場)にいまして、仕事が終わらないと
帰れないからと言われ、私も毎日会社に行って、娘も毎日学校に通って普通の
生活を送っています。娘と二人で、平日海外出張ばかりの私が、大変な時期に
娘と一緒に過ごせることが感謝しております。一緒にご飯を作ったり、節電するために、

暖房を使わない、一緒に災難区の方に何かできるかと考え、娘のお小遣いを使って、
12日に24時間テレビの募金に参加しました。皆様がそれぞれができることが違うと思いますが、
一つ大事のは、心から大きなことをしなくても、無理ないようにできることが
実行することが重要と思います。

日本はいま非常時期で、ぜひお互いに責めるではなく、大きな心を現実を受け止め、理解し合い、
一つになって、一緒に助け合うことにしましょう。

毎日●●(ML)からいろいろ情報を送ってくれまして、とても助かります。
皆様の頑張ってる姿を見て、心が強くなり、、何とか日本が再生するため
自分が何かできることを頑張ろうと思っておりました。

本当に●●(ML主催の会)に参加してよかったと思っております。
皆様に感謝しております。

前向き頑張りましょう。心配してもなにもなれない、何か自分ができることにしましょう。

文書の間違い所が多いと思いますが、自分の思うことを皆様と共有できたらと思って、

お許しいただくように、お願い致します。

Mより

・・・引用以上・・・・


心を一つにして、それぞれができることを積み重ねていきましょう!


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やる気は相乗効果

2011/01/21 11:14
先週、大雪の北海道で、若い支援者のみなさんの研修の講師をさせていただいた。

ばたばたしたスケジュールの中で、しかも、初めてのプログラム。
こなれていないし、時間配分もうまくいかない。。。
でも、せめて中身はしっかりと伝えよう!と思いながらのスタート。

話していて、ふと気づく。
あれ?なんだか私すごく一生懸命話してる。
今まで出会ってきた自閉症の人たちの顔が次々浮かんでくる。

そうか。
私の方を向く顔と目が、きらきらしている。
ひとつでも多く学び取ろう!!という気持ちが伝わってくる。
そのパワーに無意識に応えていたんだ私。

私は想定外…想定以上のパフォーマンスで、伝えられたな。
という満足感が残る。

・・・*・・・

「初めてのプログラムで…」と少々言い訳。
かえってきた言葉は
「初めての企画ですか!光栄です!」

そう。
初回は、こなれてはいないけれど、コンセプトと想いがはっきりしている。
そして、この人たちに向けてなら。というターゲット。
一緒に作り上げていく気持ちが共有されていけば、効果は計り知れない。
それを知っていて、しかも、言葉にして投げ返してくれる人たち。


この人たちの言葉を聞き逃さない!という姿勢もすばらしかった。
夜鍋を囲みながらの話しでも、仕事や研修の後で疲れているだろうに、
体も目もこちらに向けて聞き入ってくれる。

学びは、研修会の場だけではできない。
その人の人生からこそ、学ぶことがあると思う。
その学びを引き出すのも、聞き手の姿勢だと感じる。
自然に話してしまうし、何よりも、伝えたい!というパワーがでてくる。


日頃現場で、真摯に、真剣に、利用者のみなさんと向き合い、関わり、
いつも自分の仕事をよくしよう!と頑張っているんだろうな。
彼らのために、自分の経験や知識が役立つなら嬉しい。
と心から思う。

久しぶりに、「まだ変われるかもしれない、まだ変えられるかもしれない!」と思う。
感動だった。


言われたからでる研修。
講師だから…とつきあってくれているんだろうな…と感じる場。
では、やる気の相乗効果は生まれない。
当然感動も。


「やねだん」豊重哲郎さんからの教え。
感動が人を動かす。

そうか。
感動は、自分だけでなく、相手も一緒に、動かすんだ。

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親の責任と義務と権利と

2011/01/21 10:34
とある研修を受け、
「どんなにいい支援、いい教育をしようとしていても、正しい障害理解がなければ悪意のない虐待である」という主旨の言葉に出会い、それまでの人生を深く反省し懺悔の日々を送るようになってすぐ。
だから。。。もう何年前になるのかな(^^;
研修の余韻のさめないその勢いで、ノースカロライナの視察の旅行に参加。

研修で学んだことのルーツ(言葉古い?^^;)に出会う旅だったな。

スペシャリストではなく、ジェネラリストであれ。
人の人生を支えるのであるから、障害特性の正しい理解だけ突き詰めればいいのではなく。
人の人生を支えるのであるから、マニアックな構造化の専門家になっても仕方がなく。

人の人生を支えるのであるから、
子どもから大人まで、その人の人生を見通せる視野を持ち。
常に、●●さんという名前のある自閉症のその人を中心にものを考え。
家庭、地域、社会、世界を見渡せる広い視野も持つ。

人の人生を支えるのであるから、
自閉症の●●さんと向き合っているだけではなく、一緒に社会を向き。
その人の支援をするだけではなく、取り巻く社会全体への支援もする。
家族や、兄弟や、学校のお友達や、地域の人たちへの支援。
足りない社会資源を作り出すための支援(協働)。

協働ということでは、親・家族との協働を重視。
自閉症の人にとっては、一番最初に出会い、一番身近な社会が家族。
家族でありながら、当然、コミュニケーションの障害(ハンディキャップ)が生じる。
それが彼らの障害(機能的に苦手なこと)だから。

親との協働の実際では…
専門的な知識がなく自閉症の子どもの親になった人(たいていの場合それが普通)への、子育ての支援。

うまくできなくて当たり前。
でも、うまく育てられない親は悩むしストレス。
それを受け止め、決して責めず、ねばり強く、子育てという親の責任を放棄しないよう導き
子育てを楽しみ、充実感をもてるようサポートする。

そう。
自分が子育てをしてみて改めて思う。
子育ては、親の責任。
障害のあるなしに関わらず、どう育つかは、関わった親や家族、社会の大人たちの責任。
親のハンディキャップである「どう育てていいかわからない」「どうすれば教えられるのかわからない」などなどの疑問や不安には、社会的な支援が必要不可欠!
でも、我が子をどう育てたいか、どんな暮らし方の家庭や地域か、など「価値観・文化」は人それぞれ。
それは親や地域によって違う。
決してその価値観に踏み込み、さらに踏み荒らすようなことはしない。
ジェネラリストのジェネラリストたる所以。

子どもが自閉症であったことに、親の責任はない。
けれど、
その自閉症の子がどう育つか・育ったかは、親の責任。
そう言い切れるだけの支援システム・実際の支援がない日本では、
まだ、専門家は親にその責任を押しつけ、
親は、自閉症なんだから仕方ないとあきらめるか、
専門家がいない、悪いと責める。

先進地(この場合ノースカロライナ)の「今」を見て、そうなればいい!と思う。
でも、「今」があるには意味がある。

気づき、行動を起こそうとする専門家と、
やぱり、気づき、何とかしよう!と行動する親が出会い、
「協働」で積み上げてきた歴史がある。

『ローマは1日にしてならず』

誰かがやってくれる。
では、何も変わらない。
自分だけでなんとかしよう。
では、限界がある。
自分たちの暮らす社会の血となり肉となる変化を起こすには、
みんなで力を合わせ、努力しなくてはいけない。

若い人たちに伝える立場になりつつある今。
一人の人として親として。
責任と義務と権利とをいつも意識していたいと思う。

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ふれあい囲碁

2010/12/22 00:10
「やねだん」で、総務省・椎川さんがご紹介くださった「ふれあい囲碁」
いつか、ふれあってみたい!と思っていたのですが・・・

11月、安田九段が海外への親善使節として出発される前日に、
川崎で、ふれあい囲碁まつりがあり、参加させていただきました。

画像


「ふれあい囲碁」という
子どもからお年寄りまで、
障害がある人も無い人も、
職業も関係なく、
いろいろな人が集まり、みんなが楽しく、しかも1対1で向き合える触媒。
その可能性。。。すでに可能性を越えて、実体となっていましたが。。。を肌で感じました。

画像

(おかあさん手作りのふれあい囲碁の碁盤と碁石(?))

安田九段と一緒に、ふれあい囲碁の説明をしてくれた小学4年生くらいの男の子は、LDだそうです。
とても明るく自信に満ちた表情でした!

私は2歳の女の子と、特別養護老人ホームの看護士さんと、ADHDの男の子と対局(?)しました。
それぞれに違う、向き合う楽しさと充実感がありました。

また、ふれあい囲碁の後は、音楽祭です!
歌手を目指す女性、新体操をやっている小学生チーム、熱々(?)のカップルのLovesongs。。。
そんな人たちが「ふれあい囲碁」というキーワードで集まっているのです。

そして最後は。
CDをリリースされたばかりのJAZZシンガー&バンドのセッション♪
障害のあるお子さん(ふれあい囲碁の名人!&トランペット奏者!)のお母さん。
子育て中のお母さんたちに、聞いてほしい。。。というJAZZ-SONGSは、心にしみるものでした。
涙腺の緩いわたしは。。。。(−−。。。

福岡から船旅で行商(?)の旅をしているという自然素材のクッキーやさんと、
絵&言葉の素敵な作品を、その人に合わせてその場で書いてくださる画家さん。

繰り返しになりますが、このすべてが「ふれあい囲碁」というキーワードで集まっているのです。
そして、その場には、とても柔らかく温かな時間があります。
初めての私も、全く違和感なく受け入れてもらえました。

何か特別なチャンスをつくらないと、話し始められない子どもやお母さん、大人もかな。
いつも忙しがっていて、たった5分でさえ、しっかりと向き合えない親子。
生徒と先生、利用者と職員、障害者と支援者、若者と高齢者、外国人と日本人。。。
対等になれない・なろうとしない人たち。

競うのではなく、ふれあう。
でも、囲碁だから、1対1で向き合い。
簡単なルールだから、誰が勝つかわからない。

勝つことも負けることも学び、
誰にも勝つことも負けることもあることを知り。

自分も勝てる喜びと自信と、
潔く負ける強さとしなやかさを学ぶ。

すべての人に必要な、生きていく上でとても大切な「ちから」。

この空間が、町や村のあちこちにできたら素敵です。
どんな人でも、どんな場でも始められる「ふれあい囲碁」だから、
いろいろなところにふれあい囲碁・碁会所ができたら素敵だろうと思いました。

画像

(ふれあい囲碁を楽しむ障害者施設でつくられた碁盤と碁石(?))

安田九段は、ふれあい囲碁は戦争も終わりにできる!と、
ジュネーブ経由で紛争地帯へ親善使節として行かれているとのこと。
ひたむきな熱意と行動力に、ただただ打ちのめされる想いですが。。。

私も早速かわいい碁盤を入手し
まずは、身近な、娘たち小学生と楽しみ始めています。


『命を救う「ふれあい囲碁」』安田泰敏著 NHK出版協会生活人親書
画像

http://www.amazon.co.jp/%E5%91%BD%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%86%E3%80%8C%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%81%82%E3%81%84%E5%9B%B2%E7%A2%81%E3%80%8D-%E7%94%9F%E6%B4%BB%E4%BA%BA%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%89%E7%94%B0-%E6%B3%B0%E6%95%8F/dp/4140881240


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